三部けい「僕だけがいない街」の原作・アニメ版・ドラマ版・映画版の主な違いを比較してみた

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漫画「僕だけがいない街」(三部けい)は、これまでアニメ化、Netflixドラマ化、実写映画化されています。僕はそれらをすべて観ました。この記事では、「原作」「アニメ」「ドラマ」「映画」の主な相違点をそれぞれ比較していきます。

 

 

※以下ネタバレあり

 

 

原作、アニメ、ドラマ、映画の主な相違点

 

というわけで、それぞれの主な相違点をピックアップしていきます。細かいところまで書いているとキリがなくなるので、「これは」と思うところに絞ります。

 

まず、それぞれの大まかな違いは以下の通り。

 

原作:心理描写、セリフなどがもっとも多く描かれている。他の映像化作品ではカットされた部分、説明不足だった部分についても、しっかり説明され、伏線もキッチリ回収される(特にアニメ、ドラマを観て疑問に思うことがあった場合、原作を読むと補完されます)。

 

アニメ:ほぼ原作の通りだがカットシーンが多く、10話以降はオリジナルの展開。最終話もアニメオリジナルの内容。これは原作の連載終了前に最終回を迎えたため。

 

ドラマ:ほぼドラマに沿った内容で再現。画面越しに北海道の寒さが伝わってくるような、実写ならではの表現が加わっている。原作再現度ではこれがもっとも忠実な作品。

 

映画:前半部分は原作とほぼ同じ流れだが、構成が改変されている。後半部分は完全オリジナル展開でほぼ別作品と化している。これも原作連載終了前に製作・公開された影響。 ロケ地が北海道じゃないため、世界観の再現度は低め。

 

①リバイバルの表現方法

 

原作:鼓動の音と共にリバイバル 

 

アニメ:蝶が舞うのが見えた後に衝撃が起こりリバイバル 

 

ドラマ:空間のゆがみが起こりリバイバル 

 

映画:前触れなく一瞬でリバイバル 

 

作品の核である「リバイバル」の表現についてですが、それぞれに表現方法に工夫がみられます。アニメ版で蝶を舞わせているのは、どういう意図だったのか、気になるところではあります。

 

②トラック暴走から子供を助けるシーン

 

原作:違う道を歩くように声をかける。 

 

アニメ:トラックのハンドルを切って子供を回避。 

 

ドラマ:悟が原付のクラクションを鳴らして、それに気が付いた子供が、自分でトラックを回避。

 

映画:原作と同じ 

 

ドラマ版の表現が、一番現実的かなと思います。

 

③建設中の建物から子供の落下事故を防ぐシーン

 

原作:悟がバイト帰りに愛梨と一緒に歩いていると、「リバイバル」が起こり、建設中の建物から子供の落下事故を防ぐシーン。悟と愛梨が連携して事故を防ぐことで、二人の親密度が上がるシーン。

 

アニメ・ドラマ・映画:なし。 

 

これは、尺の関係でカットせざるを得なかったシーンだと思います。

 

④悟と母の口げんかのシーン

 

原作:悟と母・佐知子が口げんかして、悟がアパートのガラスを割ってしまい、それを大家が目撃するシーン。この口げんかを目撃した大家の証言により、悟が母親殺害の容疑者とされてしまう。 

 

アニメ・ドラマ・映画:なし。単純に悟が殺害現場にいたというだけで容疑をかけられる。 

 

原作の、「口げんかで勢い余ってガラスを割ってしまう」というのは、ちょっと強引かなという気がします(笑)。

 

⑤悟がスケートでわざと負けるシーン

 

原作:悟が体育の授業で、アイスホッケー部のエース浜田とスケート競争で勝負して勝ちそうになるも、手を抜いてわざと負けるシーン。それを加代に見抜かれて、再び距離を取られる。 

 

アニメ:再現されている。 

 

ドラマ・映画:なし。そもそも浜田の登場自体がなし。   

 

個人的に何となくシンパシーを感じてしまったシーンです。自分も勝負事とかでこういう「余計な事」を考えてしまうタイプなので。単純に「相手を打ち負かしてやる!」と、なれない時があるんですよね。

 

⑥リバイバル前に科学館で加代と会っていたことを思い出す

 

原作:加代と科学館に行ったとき、悟はリバイバル前にもそこで加代で会っていたことを思い出す。そして「未来を変えるために、加代を科学館に連れて来たのに、違った形で、同じ過去を繰り返しているのでは?」と不安になるシーン。 

 

アニメ:原作と同じ流れ。 

 

ドラマ:科学館のシーンはあるものの、リバイバル前に会っていた描写はなし。

 

映画:なし。  

 

ちなみに、加代が「悟の夢は漫画家」ということを知っていたのは、文集にそのことが書かれていたからです。

 

⑦愛梨の家

 

原作・アニメ・映画:親戚の家に居候。 

 

ドラマ:一人暮らし

 

それにしても、高校生の一人暮らしってリアリティないですよね…。  

 

⑧愛梨の回想シーン

 

原作・アニメ・映画:愛梨の過去が語られ、悟に肩入れする理由が、単純な好意だけではなく、過去の体験の影響からでもあることが明らかにされている。 

 

ドラマ:過去シーンはカット。「自分のためだよ」というセリフのみ。

 

ドラマ版は「単純に、愛梨が悟に好意を抱いているから」というような印象になっていると思いました。

 

⑨愛梨が真犯人に襲われるシーン

 

原作・アニメ・映画:家に放火される。 

 

ドラマ:アパートのベランダから突き落とされる

 

ドラマ版、さすがに家1軒燃やすような、大胆なロケはできなかった模様(笑)。

 

⑩加代の祖母

 

原作:加代が児童相談所に保護されるシーンで、加代の祖母が登場し、加代の母の過去が明かされ、加代の母親にも深いトラウマがあったことが明かされる。 

 

アニメ:原作のシーンに加え、加代に虐待を加えるようになった理由を連想できるような演出が追加(これは良い演出だと思った)。 

 

ドラマ:なし。加代の母は最後まで「頭のおかしなDV親」という描かれ方。

 

映画:なし。  

 

加代の母親は、ドラマ版が一番凶悪です。母親役の、江口のりこの演技がド迫力です。

 

⑪加代が戻って来るシーン

 

原作・ドラマ:一度、保護されて悟と離れ離れになった加代が、その後バス通学が認められて、転校せずに済む。 

 

アニメ・映画:カット。加代は児相に保護された後、話からドロップアウト。 

 

ドラマ版の演出が感動的で、素晴らしかったです。アニメでも再現してほしかったシーンですが、原作よりも話が先に進んでしまったため、再現されておらず残念です(なぜ原作が終了する前に制作してしまうのか!)。

 

⑫加代が悟にお礼を言うシーン

 

原作&ドラマ:「クリスマスツリー」の前で、悟にお礼を言い、「悟は私のヒーローだよ」と告げる、感動的なシーン。

 

アニメ・映画:なし  

 

原作、ドラマで感動的に描かれるシーンです。悟が「今までやってきたことは無駄じゃなかった」と心の底から思えるシーンです。アニメでも再現してほしかったが、⑪と同じ理由で再現されず!もったいない!!

 

⑬美里の孤立

 

原作・ドラマ:加代が気が付く。 

 

アニメ:広美が気が付く。

 

映画:悟が気が付く。 

 

⑭八代学の過去

 

原作:少年時代から、成人までの過去が描かれる。 

 

アニメ:ハムスターのくだりのみ。大半カット。

 

ドラマ:少年時代のみ。

 

映画:なし。  

 

⑮第一の未遂事件

 

原作:悟の幼い頃に、当時の遊び相手の「アッコ」が犯人のターゲットになるが、悟によって未遂に終わったという事実が明らかにされる。

 

アニメ、ドラマ、映画:なし。  

 

⑯「ユウキ」さんのその後

 

原作:未来が改変された方の「ユウキ」さんのその後が描かれ、「白鳥食品」の社長になっている。 

 

アニメ:エンディングでチラッと描かれている。 

 

ドラマ:終盤で河原にたたずむ姿が映るが、リバイバル前と同じ格好をしており、おそらく「将来の姿」ではない。

 

映画:なし。  

 

⑰八代が「西園学」という名前を名乗る経緯

 

原作:セリフで詳しく説明されている

 

アニメ:簡潔な説明あり

 

ドラマ:カット(個人的に、この部分はカットするべきではなかったと思う)。 

 

映画:簡潔な説明あり 

 

ドラマの数少ない惜しい点です。何も知らない人が見たら「何で名前変わってんの?偽名?」と疑問を抱き、ご都合主義的な印象になってしまうのではないでしょうか。

 

⑱愛梨がカメラマンを殴るシーン

 

原作・ドラマ:15年ぶりに目覚めた悟を隠し撮りしていたゴシップカメラマンを、通りがかりの愛梨が殴り、リバイバル後の世界で悟と愛梨が初めて再開する。 

 

アニメ:愛梨は登場せず。八代がカメラマンからフィルムを取り上げる。 

 

映画:なし 

 

ドラマ版で思ったんですが、いきなり殴るのってリアリティないなと(笑)。そんな人いたら明らかにヤバイですよね。漫画をそのまま実写化すると、不自然で違和感が出てしまう典型的なシーンだなと思いました。

 

⑲八代が悟を見舞に来るシーン(アニメオリジナル)

 

15年後に目覚めた悟を、八代が見舞いに来るシーンがあります。ここは個人的に「うーん…」となってしまったシーンです。お互い普通に会話していて、緊迫感がないのが原因かもしれません(悟の記憶が戻ってないとはいえ)。

 

⑳映画オリジナル展開

 

悟が八代に殺される(殺人未遂)シーンで、他の作品と違い「橋から川に落とされる」に変更されています。

 

また、橋から落とされた後は、元の時代(2006年)に「逆リバイバル」します。これも映画独自の展開。原作の「15年間昏睡状態にあった」というエピソードはなし。

 

「逆リバイバル」後、何事もなかったかのように元の2006年の日常に戻っています。ただし、加代が生きていたり、愛梨と知り合ってないという改変が起こっています。

 

不可解なのは、悟が橋から落とされた後、悟はどうやって助かったのか、八代はどうなったのかが、全く描かれてないことです。「なんかよく分からないけど、加代が生きてて母親も死んでないし、めでたしめでたし♪」みたいな適当な話になっています。

 

このあたり「やっつけ」な脚本という感じがして、かなりテンションが落ちました。

 

㉑ラスト

 

ドラマは原作とほぼ同じ流れ。

 

それに対して、アニメと映画は完全オリジナル展開。これはどちらも、原作の連載終了前に最終回を迎えたためです(なぜ原作連載終了前まで待てなかったのか…w)。

 

個人的に、アニメのラストはそつなく終えた印象で、映画のラストは「なんじゃそりゃ!?」って感じでした。

 

まとめ

 

「僕だけがいない街」の原作、アニメ、ドラマ、映画には、それぞれ以上のような違いがあります。

 

原作の再現度でいうと、

 

ドラマ>アニメ>>>>>映画

 

という感じです。ドラマは連載終了後に製作されたので、ストーリーは原作通りになっています。

 

一方、アニメ版も、終盤の3話をのぞけば、再現度は非常に高いです。ドラマ版ではカットされているシーンやセリフが、アニメ版の方では採用されているパターンがありました。

 

そして、絵的な意味では、当然アニメの再現度が圧倒的です。原作と同じキャラデザや背景をそのまま再現できますからね。

 

ただ、アニメはラストの展開が原作と違っていて、そこは賛否が分かれる内容になっています。

 

映画版は、後半部分が完全オリジナルで、この部分の構成・伏線回収が甘すぎるのと、ラストで悟がアッサリ死んでしまうという、「そりゃないよ」なトホホな展開…。

 

個人的に映画版は「ないわー」という感じでしたねぇ…。

 

以上、「僕だけがいない街」の原作、アニメ版、ドラマ版、映画版の主な相違点についてでした。

 

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