映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ感想【名画鑑賞】

この『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズは、キング・オブ娯楽映画です。

 

コメディタッチで、最初から最後まで観る人を退屈させない、まさにお手本通りの娯楽映画です。

 

「不朽の名作」とは、この作品のためにある言葉なのではないか、とすら思うほどです(笑)。

 

映画はPART1、PART2、PART3の3部作。

 

このシリーズのすごいところは、続編のクオリティがまったく落ちないこと

 

多くの映画(ドラマも)は、続編が1を超えることがほとんどなく、しかも同じ水準のクオリティを保っていることすら珍しく、シリーズを重ねるごとにだんだんテンションやクオリティがダウンしていくことが多いものです(特にアメドラはひどい)。

 

しかし、この『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズには、それがまったくないのです。

 

1980年代の作品なので、今見ると画質や映像処理の技術に古さを感じる部分もあるものの、映画そのものの面白さにはまったく関係ありません。映画は脚本が命です。

 

というわけで、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズについて、PART1から3までそれぞれさらっと感想を書いていきます。

 

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』PART1

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公開:1985年 アメリカ

監督:ロバート・ゼメキス

 

記念すべきシリーズ第1作目。主人公マーティが1985年から1955年にタイムスリップします。

 

1955年の街並みを完璧に再現していて、観ている側もタイムスリップした気になれるのが、この映画のポイントです。

 

タイムスリップによるジェネレーションギャップや、過去を改変して自分の存在が消えそうになるとか、両親をくっつけるために奔走するなどなど、タイムスリップという題材を活かした話が面白い。

 

特に若い頃の両親と会ったときの、「見たくないものを見てしまった感」が何とも言えない(笑)。父親がいじめられっ子だったとか、母親が奔放だったとか、別に子供は知りたくもないわけで(笑)。

 

個人的に一番笑えるのが、マーティが1955年に、チャック・ベリーの曲(ジョニー・B・グッド)を演奏するシーンですね。1955年当時、この曲はまだ発表されていないのですが、その場に居合わせたチャック・ベリーのいとこが電話で「おいチャック!今までにないサウンドを求めてたろ?これ聴いてみろよ!」と、作曲者のチャック・ベリー本人に聴かせるという面白い流れ。歴史的にもつじつまが合います。

 


Johnny B. Goode - Back to the Future (9/10) Movie CLIP (1985) HD

 

こういう「タイムスリップ」を最大限に生かしたネタを、ふんだんに盛り込んでいるのが、この『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の醍醐味です。そしてこの醍醐味は後のシリーズにも受け継がれます。

 

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』PART2

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公開:1989年  アメリカ

監督:ロバート・ゼメキス

 

脚本家が本気出してくるのがこのパート2。

 

伏線に次ぐ伏線という怒涛の展開。初見では見落としてしまうような、細かい伏線があちこちに散りばめられているのが特徴です。時代も「2015年の未来→ディストピア1985年→1955年」と、めまぐるしく変わります。

 

PART1のラストからの流れで、マーティとドク(とジェニファー)は2015年の未来にタイムスリップ。

 

この記事を書いた時点ですでに到来している2015年ですが、映画の中ではどのように描かれているか、現実と比較してみると面白いです。

 

それは空飛ぶ車とか、自動で乾く服とか、「20世紀の人が思う未来の世界」みたいな予測が多いですが、大型薄型TVのように的中させているものもあります。

 

そしてマーティの未来の姿が、うだつの上がらないサラリーマンってのも悲哀を誘います。サラリーマンなのは別に良いとして、さえないオッサンになってしまっているというのが切ないですねぇ…。「若い頃の自分が思っていた、かっこ悪い大人」ってやつになってしまっているというのが、何とも言えぬ哀愁を誘います(笑)。

 

さて、マーティとドクがミッションを終えて1985年に戻ると、ビフによって改変されたディストピア1985年になっています。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャーの世界では「並行世界」というものは存在せず、一度過去が改変されたら、その後の時代もすべて改変されてしまうようです。

 

ちなみにディストピア1985年に出てくる「ビフ・タワー」の元ネタは、トランプ・タワーだそうな(当時「将来トランプが大統領になるよ」と言っても、誰も信じてくれないだろうなぁ…)。

 

そのディストピアは、1955年にビフによって改変されたことが元になっていると気が付いた二人は、さらに1955年にタイムスリップします。

 

この時にタイムスリップした時点で、1955年には、

 

・PART2のマーティ

・PART1のマーティ

・PART2のドク

・1955年当時のドク

 

の、それぞれ同じ人間が2人以上、同じ時代に存在していることになります(何ともややこしい)。

 

未来が改変されないようにするために、お互い顔を合わせないように行動しないといけません。そのスリルとハラハラ感を出すのが、このシリーズは非常にうまいです。

 

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 PART3

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公開:1990年 アメリカ

監督:ロバート・ゼメキス

 

PART3の舞台は1885年。西部開拓時代。

 

前2作と違っているのは、マーティの知ってる人が誰もいない時代ということ(ドクのぞく)。

 

今まではマーティの身近な人の昔の姿・未来の姿を見れたのが、今回は100年前の時代なのでそれがありません。代わりにマーティの先祖とかビフの先祖とかが出てきます。

 

印象的なのが、町の酒場でならず者のタネンから「ここには来るなと言っただろマクフライ!」と因縁をつけられるシーン。PART1にもPART2にもあったお約束展開。そしてタネンはビフの先祖にあたります。

 

マクフライ家とタネン家は、なぜ先祖代々こうも因縁があるんだろうか(笑)。ちなみにシェイマスとタネンにどんな因縁があるのかは不明。劇中で触れられると面白かったと思うのですが、尺が足りなかったんですかね?

 

ちなみにPART3では。今までのシリーズとは違い、マーティはタネンから逃げきれずに、首つりの刑に遭います。スケボーに代わるアイテムがないし、相手は馬に乗ってるしで、マーティ初の追いかけっこ敗北。

 

ところで今回、クララと言う女性が初登場しますが、ポッと出の割にかなりの重要人物です。タイムスリップ決行の日にマーティがタネンと決闘する羽目になる原因になったり、クララが機関車を緊急停止させたおかげでマーティとドクの機関車ジャックが成功したり、ドクだけタイムスリップに失敗する原因になったり、後に「未来を変える事」をタブー視していたドクの考え方が変わったのも、全部クララが原因です。

 

最後は結局、マーティだけが未来に戻ることができ、ドクはタイムスリップに失敗します。タイムマシンは1985年に戻った直後に、列車にひかれてバラバラになります。

 

マーティがバラバラになったタイムマシンの破片を呆然と見つめていると、突然衝撃が起こり目の前から機関車が現れます。その機関車からはドクが出てきます。

 

視聴者が「ドクはあのあとどうなるんだろう」と思ってた矢先に、このシーンが挿入されます。

 

「そろそろこの映画も終わりかー、寂しいな…」

 

となりかけていたところ、再びテンションが上がるという仕様。的確なタイミングで的確な意外性を挿入してくるという、実に気が利く映画です。そりゃ時代を超えてモテ続けるわけだ(笑)。

 

そういう脚本のうまさ、演出のうまさが、このシリーズの面白さにつながっているんでしょうね。

 

そしてドクはクララと、クララとの間にできた子供と、アインシュタインを連れ、

 

「人間の未来はすべて白紙だ。誰にもわからない。未来は自分で切り開くものだ(Your future hasn`t been written yet. No one`s has. Your future is whatever you make it.)

 

という言葉を残して去っていく。

 

シリーズを締めくくるのにふさわしい言葉だと思います。

 

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★余談★

 

ところでこのPART3、DVD版・ブルーレイ版ともに「インディアン」を「ネイティブ・アメリカン」と訳しているのがとても気になった。マーティもタネンも、ハッキリ「インディアン」と言ってるのに、字幕には「ネイティブ・アメリカン」と出てくるのだ(吹き替えではそのまま「インディアン」だった)。しかし西部時代に「ネイティブ・アメリカン」という言葉はなかったはずである。自主規制かなんか知らんが、こういう興ざめなするような翻訳はやめてほしいものである。インディアンは別に差別用語でも何でもないはずだ。そもそも当のアメリカ先住民が「インディアンでいいっつーの!ネイティブ・アメリカンとか意味分からんっつうの!」と主張しているのだから、字幕を「インディアン」に戻して再販するほうが誠実だろう。

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↑問題の翻訳

 

感想まとめ


この『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズの優れた点は、3部作通して綺麗に完結させているところだ。特に3部作とも、どれもクオリティが高いという、稀有な作品である。そして最後は希望のある終わり方をして、観る側にポジティブな気持ちを与えてくれる。


まさに、娯楽映画の殿堂と言って過言ではないのが、この映画です。