ひろゆき(西村博之)氏の著書「論破力」を読了。
本書はタイトルの通り、相手を「論破」するためのノウハウが書かれている本。
別に誰かを論破したいわけではないが、面白そうなので読んだ。
「論破力」とは
ひろゆき氏によると「論破」とは、
「自分の言動に反対している相手の言動を賛成に変える」
ことであり、「論破力」とは、
「説得力のある話し方ができるかどうかにかかっている」
とのこと。
そして、説得力のある話し方をするためには「論理」「事実」が必須だけども、それだけでは議論に勝てるわけではなく、あくまで議論の勝ち負けを決めるのは「第三者によるジャッジ」だという。
たしかに完全に一対一の議論だと、たとえこちらの話のほうが論理的で、事実に基づいていたとしても、相手がそれを認めなければ、議論は平行線をたどって決着がつかない。
しかし第三者のジャッジが入れば、どちらに分があるか判定してくれる。そのため「議論をするときは第三者を加えるべし」ということなのだ。
ひろゆき流「論破」のノウハウ
本書の前半で書かれている、ひろゆき氏流の「論破」のノウハウのうち、特に印象に残ったのが以下のもの。
・意見を言わずに事実を言う
・相手の議論の「あら」を見つける
・1対1は厳禁、必ず「ジャッジ」をつける
・定義があいまいな言葉、難しい言葉は使わない
・2人きりに持ち込まれた議論のコツ
・論破しても恨まれない方法
詳しい内容はここでは省略するが、どれも納得できる内容だった。
特に「意見を言わずに事実を言う」ということができれば、相手は反論のしようがなくなる。詭弁を弄する相手に対して有効だろう。
そして本書の後半は「交渉術」「処世術」といった感じで、「手ごわい相手にYESと言わせる説得術」「厄介な人を転がす技術」「議論に強くなる頭の鍛え方」というトピックが並んでいる。
ひろゆき氏の思考回路をのぞき見ることができる。
「論破力」は「抜かない刀」にしておく
これは個人的な意見だが、「論破力」は「抜かない刀」にしておくのが一番良い。
そもそも、ひろゆき氏自身が、あとがきではこう述べている。
本文を読んだ人はうっすらと理解してもらえてるかと思いますが、他人を変えるより自分を変えるほうが簡単なんですよね。不快な相手を変えるよりも、その相手を見ても不快に感じないように自分を変えるほうがよっぽど簡単だし確実で、副作用もなかったりします。
p243-244
自分が楽になったり幸せになったりするのが目的だとしたら、相手を論破することがゴールじゃないかもしれないです。
(中略)
「論破力」を使って自分の周りの環境を変えるのも一つの手ですけど、そういった武器を持っていてもあえて使わないことで、心の余裕が一段階増えたりもするんですよね。
p245
まあたしかに、この本を読んで、
「いいこと聞いたぞ!よし、さっそく試してみよう!」
と思って、下手に身近な人相手に実践でもしたら、たぶん大変なことになる(笑)。
あるいは、誰彼かまわず論破しにかかる厄介な人間になってしまい、自分の周囲から人がいなくなってしまうだろう。
なので普段は使わずに「抜かない刀」として心の内に秘めておき、いざというときのみ「論破力」を活用して相手を説得するなり、説き伏せるなりすれば良い。
たとえば、護身術を習っていたとしても、それを実際に使う機会には遭遇しないに越したことはないのと同じだ。
この本が役に立つ時
ところで、この本を読んだだけでは相手を「論破」できるようになるのは難しいと思う。身もフタもない話だけども(笑)。
なぜなら、人それぞれによってトークスキルが違うし、議論とか討論が苦手な人もいる(共感的な会話のほうが得意な人とか、気が弱い人とか)。
そういう人が、この本を読んだだけで他人を論破できるようになるかというと難しいだろう。「泳ぎ方」の本を読んだだけでは、泳げるようにはならないのと同じだ。
逆に、普段から議論や討論する環境に身を置く人や、交渉の場にのぞむことが多い人など、この本に書かれていることを実践できる状況の人には、おおいに参考になるだろう。
では、「トークスキルが低く議論が苦手な人は、この本を読んでも無駄なのか?」というと、そんなことはない。議論・討論に強い人の考え方を知ることができるからだ。
議論・討論に強くて、相手を「論破」出来るような人は、意識的にしろ無意識的にしろ、本書に書かれている「論破」のノウハウを実践できている人である。
この本の内容を頭にたたき込めば、そういう人と議論になったときに、相手の行動パターンが読めるようになる。行動パターンがある程度読めるなら、うろたえずに落ち着いて対処できるようになる。
つまり武器になる。
なので、この本の読み方としては、「自分に武器を増やす」「論破力のある人の考え方や行動原理を知る」ために読むのが良いのかな、と思った。