映画『ロッキー』感想~古典的アメリカン・ドリーム~【名画鑑賞】

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公開:1976年 アメリカ

おススメ度:★★★★★

 

シルヴェスター・スタローンの出世作『ロッキー』。

 

この映画は、古典的なアメリカン・ドリームを描いた映画です。この映画を観れば、「アメリカン・ドリーム」というものが、なんとなく実感できます。

 

主人公ロッキーは、うだつの上がらない場末の3流ボクサー。本業のボクシングではイマイチ結果が出ず、引退も見え始めている年齢で、生活のために借金取り立ての手伝いをしながら糊口をしのぐ毎日。

 

ペット屋の店員エイドリアンにアプローチをかけるも手応え無し。ジムのトレーナー、ミッキーからはロッカーの使用を禁じられたあげくに「引退の決心はついたか」と罵られ、薄暗いアパートでの孤独が暮らしが続きます。

 

序盤のロッキーからは、人生うまく行ってないのが伝わってきます。映画の序盤からは、画面からひたすら閉塞感が漂ってきます。外でのシーンがいつもどんより曇っているのも、その閉塞感に一躍買っています。わざわざそういう日を選んでロケしたとしたら、良い演出だと思います。

 

ある日、世界チャンピオンの次の対戦相手としてロッキーが選ばれます。元々の対戦相手が出場不能となったため、その代役として偶然、ロッキーに白羽の矢が立ちます。そして、そこから話は急展開し始めます。

 

ちなみに自分が好きなシーンは、ミッキーと和解するシーン。

 

それまでロッキーのことを、さんざん罵倒していたトレーナーのミッキーが、ロッキーの家を訪れて「これはチャンスだ!お前には才能がある!俺をトレーナーにしろ!」と掌返して言ってきます。しかしロッキーとしては納得できない。なので罵倒して追い返します

 

その後、道をトボトボ歩くミッキーの背中が、遠目から映し出されます。そこにロッキーが追いかけてきてミッキーを呼び止め、そして何かやりとりをします。この間セリフは聴こえてきません。ただ、遠くに写る2人のジェスチャーによって、どうやら和解したことが分かります。あえてセリフを入れないことで「今までのことは水に流して協力し合おう」という感じがより強く伝わってきます。ほんの一瞬ですが、良いシーンです。

 

そしてロッキーはミッキーの指導の下で猛特訓を始め、一方対戦相手のアポロは余裕ぶっこいて何もせず、試合の日を迎えます。

 

この映画の良いところは、ロッキーがトレーニングするシーンをしっかり描いてることです。突然舞い込んだチャンスをつかむためには、完全運任せではダメで、しっかり力を蓄えて準備をしておかないとダメだということを、しっかり描いています。

 

まあ、それまでうだつの上がらなかったロッキーが、短期間に猛特訓しただけで世界チャンピオンに勝つというのは、あまりに出来過ぎな話かもしれません。

 

ただ、それまでに「ロッキーに元々素質がある事(けど練習量が足りてなかった)」「アポロがロッキーをなめ切っていたこと」という伏線が張られていたので、いわゆる「ご都合主義」というほどでもないと思います。

 

ともあれ、ロッキーは舞い込んだチャンスを見事モノにします。

 

「本気になる」は大事なこと

 

後半、ロッキーは本気になる。必死になる。真剣に勝ちたいと思って、行動する。

 

その結果、見事アメリカン・ドリームをつかみ取ることに成功します。

 

何でもそうですが、「本気になる事」は、大事なことです。自分の経験上、本気になった事ほどうまくいきました。例えば仕事で壁にぶち当たった時も、本気になって動けば解決することが多いものです。

 

もちろん、本気になってもダメな時もあります。例えば、自分の能力をはるかに超える事とか、自分の力だけではどうにもならないことなどは、うまくいかない可能性が高いです。ただ、そういう場合でも、可能性は0ではありません。

 

しかし本気にならなかったり、何も行動しなかったら、そもそも可能性は0です。「0か、0じゃないか」だったら、僕は「0じゃない方」を取りたいですね。

 

『ロッキー』を観ると、そんな気持ちになります。

 

泥臭い闘志、単純明快なサクセスストーリー、転がり込んできたチャンスはつかみとれ、というシンプルで力強いメッセージが、この映画には込められています。